上達には才能や根性が必要!?

 最初にお断りしておきますが、今回のエントリーは将棋のお話ではありません。完全なる雑談(というかチラ裏)です。

 

 囲碁というものも、将棋に負けず劣らず(個人的には将棋よりはるかに、と思います)、入門段階が険しい競技です。ルールはシンプル(相手の石を四方から隙間なく囲めば取れる、最終的に囲った陣地の大きいほうが勝ち)ですが、初心者にはそもそもどの時点で勝負が終わりなのか判断ができない(プロ棋士でもごくごく稀に間違えてトラブルになります)。どちらかの王将の逃げ道がなくなればおしまい、とはっきりしている将棋とは対照的です(もちろん、入玉形などの例外はありますが)。

 

 まあその段階は、しかるべき指導者(決して単に囲碁が強い人、というわけではない)による指導と実戦経験によってクリアして、一応囲碁らしきものを終わりまで打てるようになったとして、自分より強い人と打つ際には、ハンデキャップをつけて打つわけです。これは「置き碁」と呼ばれており、最初から下手(弱い方)の石を盤面にいくつか置いて始めます。囲碁は石数が多い方が強く戦えるので、これは下手が有利です(って当たり前か……)。

 

 で、ここでアマ高段者は、いたいけな(?)初心者に対して、こんな「アドバイス」を贈るわけです。

 

 「下手は、数の優位性を活かせる序盤に強気で戦い、戦果を上げること。序盤から地を囲むことばかり気にしていては上手をつけあがらせ、かえって損をするから、決して弱気になってはいけない。第一、そんな萎縮した打ち方をしていては、いつまでたっても強くはなれない」

 

 ……うん、それは至極ごもっともで、正しいんですよ。強気に攻めていった結果、逆に潰されることがあっても、負けから学ぶことは多いし、1回や2回ひどい負かされ方をしたぐらいで囲碁を辞めるようでは、そもそもそれまでのこと……。そう言うのは簡単ですし、こういうことを言う人は、実際そうやって強くなってきたのでしょう。でも、それで囲碁を続けられる人って、よっぽど才能豊かな人か、よっぽど根性のある人じゃないですか?だって、普通嫌ですよ。たくさん石を置かされた挙句、コテンパンにやられ続けるなんて。

 

 かくいう管理人も、大学の囲碁部に入り、高段クラスの実力者たちに潰されまくって嫌になりかけていたわけです。そんなある日、こんな本に出会いました。

 いやはや、なかなか過激なタイトルですよ。でも、書いてある内容は至極真っ当です。いかに上手の策動を封じ、安全に勝ち逃げするか。ここまで勝負に徹した置碁本を管理人はほかに知りません(失敗なんて気にせず、思いっきり攻めていっちゃおう!という本ならたくさんありますが)。

 

 まあ、囲碁部のメンバーには理解されませんでしたけどね。「そんな打ち方じゃ強くなれねーぞ」と散々言われましたとも。たしかに、この本に書かれた打ち方だけで高段の極みを目指すのは無理です。でも、本来簡単に勝てる勝負を難しくした挙句負け続け、嫌になって負けてしまうより、はるかに良いと思いますし、第一、優勢な場面では冒険せずに、最強・最善手より簡明手を選ぶ、といったことはプロでもやっていること。恥じることはなにもないはず。

 

 で、何を言いたかったのかといえば、将棋にしたって、いきなり難しい戦術書を読んで挫折するくらいなら、もっと易しいことから始めて少しずつ強くなっていけばいいのではと思うわけですよ。いきなり5手詰めの詰将棋なんてやらなくていいし、いきなり横歩取りの急戦形なんてやらなくていい。1手詰めから始めればいいと思うし、最初のうちは四間飛車なり原始棒銀なり、戦法を一つに固定してやればいいと思う。

 

 まあそんな話です。大して中身ないのに思いのほか長文になってしまった(汗)。